スキースポーツが教育に果たす役割 現在から未来へ《日本スキー学会誌 2005年度版》

 スキーは年代を問わず肉体的にも精神的にも強固になる多くの要素を提供してくれるスポーツです。 「教育 」という視点からとらえた場合、スキースポーツが果たす役割として考えられることを述べてみたいと思います。

大自然から得る生命力

 スキーは自然の中でのスポーツゆえ、そのイメージや印象は天候にも大きく左右されます。快晴無風の日ばかりならいいのですが、吹雪や雨、霧で視界が遮られたり、また非常に寒い日にゲレンデに立つこともあるわけです。そんな日は身体が固まって思うように運動機能を発揮できない、リフトに乗っているのも苦痛です。しかし、そんな気象条件は精神を強固にさせる有効的な手段のひとつ、と私は感じています。

「世の中には戦争や飢餓等で、明日の生命が保障されていない人が沢山いる。そうした環境下で生きている人々と比較したら、我々日本人というのは不況、リストラ等で人間関係が一段と難しくなっている現実はあるものの、いかに恵まれた国で生を享受していることか。こんな寒さぐらいでへこたれてどうする!この程度で根を上げてしまう人間なのか! 」 

 自然は人間に対して、どの程度の器の動物なのか?を、いつも試しているような気がしています。また、スキー場に林立する樹木を見ても、どんな強風にも耐えて力強く生きている様は 「人は座って半畳、寝て一畳 」といった諺を思い出させてくれます。人間一人の力の限界を示唆し、協力し合い、支え合い、努力しながら生きていかねばならないことを教えてくれるのも自然の偉大なところであり、こうした生きる力を与えてくれることがスキースポーツを通して得られる大きな精神的財産のひとつではないかと思っています。

不便さに対する価値観

 世の中が便利になっていくことは、一方では歓迎されることでありますが、その反面、 「我慢 」とか 「辛抱 」とか自己利益に反する忍耐力は反比例するように低下し、人間が加速しながら我侭になってきているように思えます。例えば、いま携帯電話が世の中から消えて公衆電話を探して歩くことを想像しただけで、不便極まりない苦痛を感じてしまうのではなかろうかと。

 昨今はスキー場に来られるお客様でも 「ノーマルタイヤで行けますか? 」という問い合わせは後を絶ちません。昔は当然のことながらスキー行にチェーンは必帯条件であったわけですが、スタッドレスタイヤに履き替えるのも 「面倒くさい 」という風潮。すべての人が該当するわけではありませんが、非日常的な空間にも日常を求めたがるのが日本人の国民性なのかもしれません。

 スキー場が立地する場所というのは、都会と比較したらどこでも不便な環境にあるわけです。ヨーロッパの一流スキーリゾートにおいては、あえてテレビも新聞も置いてないホテルがあります。それは、滞在中は頭を空っぽにすることで日常を忘れ、それがその人の明日に向かう英気を養うといった作用を施すことを感じていただくためです。お客様自身も、言わずとも理解されており、不便さの中で 「心の健康 」を提供していただける喜びを噛み締めているのが欧米人のような気がします。

公共の場におけるルール・マナー

 スキー場は公園などと同様に、来場されたすべてのお客様が公平に楽しむ権利をもつ 「公共の場 」です。その中で滑走禁止区域を滑る、禁煙スペースで喫煙する、通路部分に座り込んで通行の妨害をする、リフト乗車を割り込む、リフト券を係員に見せない、執拗に値引きを強要する・・・等の行為は良識あるお客様から見れば非常に醜い様でありますが、 「自分たちが良ければそれでいい。他人がどう思おうと知ったことではない 」の精神が年々横行してきているように感じます。

 こうした社会常識を欠いた行為はスキー場に限った問題ではなく、また一部の人たちによる振る舞いであるとは思いますが、秩序なき個人主義が横行し、 「倫理観 」が欠落傾向に走っている印象は禁じえないものがあります。単純に言えば、親から子、子から孫へと受け継がれてきた人生観や倫理観を形成する家族制度や家庭の姿が崩壊し、子供にとって第一の 「具眼の士 」であるべき親に、まず、その責任と自覚がない。複雑な社会構造の中で簡単に結論づけられる問題ではありませんが、戦後社会の中で大きく変容してきた姿のひとつである、ということは言えるのではないでしょうか。

 スキースポーツが斜陽化している現実も前述のような事柄と無縁とは思えません。社会常識としてのルールやマナーを知らないのであれば、教えなくてはなりません。スキー場としても 「スタッフ全員が愚悪な行動に対しては勇気をもって注意する姿勢をもつ 」 あまりにも初歩的なことではありますが、これも公共の場における大切な教育です。

スキースクールはもっとも年齢幅の広い学校

 当校でいえば下は3歳から、上は78歳(今シーズン)までの年齢の方が受講されています。その中で、技術的なことはインストラクターが指導するわけですが、リフト乗車の際のマナー、滑る順番、言葉使い、転倒者への配慮・・・等の規範は受講生同士で互いに 「常識ある空間 」をつくっています。

 子供だけの初心者クラスでは、親御さんがレッスンを見守っている光景が年々増えてきているように思えます。中には他の子供を押して転倒させたり、ストックで突いたり、滑る順番を無視したり・・・といった行動に出る子もいます。そんな時は、もちろんインストラクターが注意するわけですが、そんな子に限ってすぐ親のところに行って助けを求めたりします。その後が問題です。その光景を親が見ていながら、自分の子供を叱らないどころか、 「自分の子供に対するレッスンの仕方が悪い 」とクレームをつけてくる親もいるのです。そうした状況の時は 「断固ひるまず、親にも教育的指導をしなければならない 」と、常々インストラクターには言っております。

 子供であろうと、大人であろうと物事の善悪はしっかりと教えなければなりません。たまたま、となりで大人の初心者グループがその光景を見ていて、一緒になって親を教育するといったシーンもあります。おかげさまで開校以来9シーズン、当スキースクールの受講生数は右肩上がりを続けておりますが、 「ウチの子をとことん厳しく指導してください 」と申し込んで来られる親御さんも中にはおり、それが着実に増える傾向にあることは喜ばしいことです。

 また当スクールには受講生のすべてが集い、歓談できる 「ラウンジ 」を設置していますが、

そこでも社会の仕組みやルール・マナーを学ぶ場所として役立っています。お茶を飲みながら、時には高校生、大学生の進路や就職相談を受講生同士で語り合っているのを目にすることもあります。4月13日の日経新聞によれば、 「ニート 」と呼ばれる無就業者が84万人余りに達しているとの記事が載っていました。日本の生産年齢人口(15歳〜64歳)は1995年を境に減少し、2005年には8,400万人ですが、20年後には7,200万人と予測されています。ニートでいる理由には 「やりたいことが探せない 」 「社会の仕組みに係わる経験が少なく、就業の選択肢がわからない 」 「適性観が自分でわからない 」といった背景があるように思われます。

 スキースクールは多種多様な職業の人が受講されます。同じ班になった大人の方との世間話の中から就業に関することを学んだりすることができるのも、スキースポーツにおける 「年齢幅の広い学校 」の特徴であることは確かなところです。

心身ともに健康な姿の育成

 子供たちの体力が、どんどん落ちてきていると言われて久しい。外で遊ばない、塾で忙しい、レトルトな食生活、運動会などでも順位をつけない学校が増加・・・こうした実態を伺うにつけ、複雑な心境になります。世の親たちは一様に学校の成績にはデリケートなのでしょうが、身体の健康についての関心は薄いような気がします。

 私自身、子供を育てた経験がないゆえ、現状の教育制度に対してあまり軽率な言動は控えねばなりませんが、 「総合学習 」が登場して以来、本家本元の北海道の学校でもスキー授業が減少してきているという現実には疑問を感じます。

 頭脳が明晰になることを否定する人はいませんが、その源となるのが健康な肉体であることは議論の余地を持ちません。 「健全なる精神は健全なる肉体に宿る 」 スキーは全身を使う運動であり、自然からは生命力や心の豊かさを学び、人と人との出会いの輪からは社会のルールや規範をも学べる 「心身ともに健康 」な人間を育てるスポーツです。

 私は、そんなところがスキースポーツが 「教育 」に果たす役割であり、時代が変わろうとも受け継いでいくべき不変の真理ではないかと思うのです。