スノービジネス業界と日本人の思考回路《北陸信越索道協会報 2003年、北海道索道協会報 2004年》
叱咤激励?連続の学生時代
日本のスノービジネス業界は、総体的には相も変わらず芳しくない。スキー場への入場者は減少し、用具も売れない。スキー場は安売り合戦で、メーカーは30年間変わることのない販売戦略で時代を生きているが、共に結果は出せないでいる。が、時の状況が厳しくなればなるほど人間は知恵を出すもの。そもそもレジャー産業における発想の切り口が貧困な日本人にとって、スノービジネス業界はこれから、否が応でも進歩せざるを得ない状況におかれている。今の時代を、それぞれの経営者が前向きにとらえるか否かによって、おのずと、その事業主体の将来が決まってこよう。
ここでは自分の経験を元に、日本人独特の思考回路からくるスキー文化、課題と諸外国との違い、最後に当マイアの状況を僭越ながら説明してみたい。
振り返れば、大学一年の時にスキー場でアルバイトしたのが、この業界に身を置くようになったきっかけだが、それから数えると今年でちょうど30年。それまでやってきたことに、ことごとく挫折し、ちょっとだけ好きだったスキーのアルバイトでもしてみるか。こんな軽い気持ちで足を踏み入れた某スキー場のスキースクールが、思い起こせば何とコメントしたらいいものか・・?
スキー場自体は、地元雇用の年配者は職種が決まってはいたが、スキースクールのアルバイトなどは職種がスキー指導だけとは限られておらず、その日のスキー場の管理者の指示によって動くというものだった。リフト、出札、レストラン、パトロール、除雪、生ゴミ捨て、温泉のパイプ修理、送迎・・etc.と、何でもやらなければならない。それはそれでいいのだが、睡眠時間が2〜3時間しか取れないことが多く、体力と根性で勝負するしかないようなところだった。例えば、川底を通してある温泉のパイプが破れたから、修理して来いと指示を受ける。どこで破れているか川に入らないとわからないから、下流から探っていく。冬の川は当然冷たい。最初のうちは結構我慢できるが、段々と川に浸っている時間が短くなってくる。陸に上がって身体をさすり、また川に入るのを繰り返すわけだが、半日ぐらいかかっても探し当てることができないと、身体そのものが動かなくなってくる。なんとか暗くなる前に破れているところを発見し、修理を終えて帰ってくると、生ゴミを捨てに行って来いと指示を受ける。この際、 「手伝ってやる 」という先輩の言葉に感謝していると、生ゴミの入ったビニール袋を投げてきて、それをキャッチしろと言う。ひどい時には古びたビニール袋が破れて顔面から生ゴミを被り、その瞬間にゲロることもしばしば。それが終わると毎晩恒例の飲み会。だいたい20〜25人くらい参加するのだが、真ん中に正座させられ、他の全員と野球拳をやって、負けるとウイスキーのストレートをコップ一杯飲まなければならない。平均すると、半分はジャンケンで負けるので、毎晩10杯以上はウイスキーのストレートを飲まなければならない。吐かないで飲めるのは最初の一杯だけ。2杯目以降は毎回トイレに飛んで行かなければならない。先輩たちは、その光景を見て笑っている。毎回トイレに行くのも大変だから、バケツを首から下げて飲めば、すぐ吐けて楽だろうと、ある先輩。これがまたつらい。ゲロの臭いを嗅ぎながら飲むわけだから、4〜5杯目くらいになると、グラスに口を近づけようとしただけで吐くようになる。飲むことを躊躇しようものなら、 「お前、スキーが上手くなりたいからスキー場に来たんだろ。ウイスキー1本も空けられないで、スキーが上手くなるわけないだろう! 」と、すぐさま先輩たちから叱咤激励?ようやくノルマのウイスキー1本を空けると、それから後片付けと翌朝のスタッフの食事の仕込み。布団に入るのは2〜3時。朝は雪かきをした上で7時には先輩たちを起床させなければならないので5時〜5時半くらいから起きてやらないと間に合わない。よって、睡眠時間は2〜3時間となる。
温泉のパイプ修理や生ゴミ捨て、朝の雪かきは毎日ではないものの、他の仕事をしていても大差はなく、ウイスキー1本空けるノルマはシーズン中変わることはない。翌シーズンに私の一年下のアルバイトが2人入ってきて、「あぁ、これで俺も少しは楽ができそうだ」と喜んでいたら、1週間もしないうちに「こんなところにいたら死んでしまいます」と捨てゼリフをはかれて、トットと帰られてしまい、次の日から再び一番下っ端で同じ日々の繰り返し。もちろん、鉄拳制裁やタバコの火を体で消されるなんてこともしばしばある。今の時代であれば完璧に「イジメ」なんだろうが、当時は、格闘技をやっていて、いざ腕力勝負になったら誰にも負けない自信もあったせいか、容認することも苦ではなかった。
春になって山を降りると緊張感が一気に抜けるせいか、食事ができないほど唇の周りが荒れ。毎日メンタムをゴッテリ塗り、マスクをして一ヶ月。いかにも怪しげな人相だったたに違いない。この手の昔話は多々あり、似たような経験をされて育ってきたスキー人は沢山いらっしゃると思うが、思えば懐かしい体育会系のノリの日々だった。
根性漬けみたいな日々を過ごしながらも、「やめよう」と思うことは不思議となかった。今にして思えば、やはり、それだけ「好き」だったのだろう。 「途中でやめたら、つらい思い出しか残らない 」という気持ちが強かったのかもしれない。
ぎりぎりセーフ!
卒業を前にして漠然と 「スキー界で飯が食っていけたら・・ 」と考えるようになった。しかし、指導者の資格だけは取ってはみたものの・・でも実績は何もない。誰が応援してくれるわけでもない。日本では実績、肩書き、経験が重要視される社会。それに対抗していくためには、まずは 「きちんとした専門教育を受けないと 」 日本になければ、どこか海外で・・・・。
そんな思いで、何回か受けたことのあるTOEFLテストの点数を考慮しながら、アメリカのカレッジに留学。たまたまスキーリゾートマネージメントなる学部があるカレッジを発見し、迷うことなくアプライ。大志を胸に留学したまでは良かったが、世の中、ほんとに甘くない。先生の話している言葉が、まるっきり理解できない。理解できないから答えようがない。ボロはすぐ出るもので、段々とバカ扱いされるようになる。宿題の山、テストをやれば、いつも一桁の点数。最初は寮に入っていたのだが、そのルームメイトは何も教えてくれない。It’s not my business. 「な、なんだこいつは。俺は母国語が英語じゃない日本人なんだから、ちょっとくらいは教えてくれたっていいじゃないか」「なんて冷たい人種なんだ、アメリカ人は」などと憤慨してみても、冷静に考えてみれば自分がバカなだけ。他人に頼ろうとした自分が情けない。甘えるのもたいがいにしろ、と自戒。とは思うものの、発音も全然ダメ。VとB、RとLの区別を何回練習させられても、上手くできない。教室内では常に白い目で見られているような気がして、完全に孤立状態。もう最悪。このままではキックアウト(退学)させられてしまう。山形から送り出してくれた両親の顔が浮かぶ。
もう、こうなったら開き直るしかない。笑われようと、恥をかかされようと、「え〜ぃ、もうどうとでもなれ!」日本人は自分しかいないのだから格好つける必要もない。幸せは待っていてもやって来ない。すべては、自分でブチ当たっていくしかない。相手にされなくても、とにかく自分から話しかける。授業が終わって、先生が迷惑がろうが何だろうが「もう一度教えてください。このままでは日本に帰れない」を連発。そんな甲斐あってか、8ヶ月くらい後に、突然英語が理解できるようになる。ウソじゃなく、ほんとに目が覚めたら、いきなり英語がわかる朝がやってきた。授業に出ても理解できる。ひとつの壁を乗り越えた感じだった。
スキーシーズンにぎりぎりで間に合ったか。というのは、このカレッジは学部柄、冬季間はスキー場での実習が単位になる。職種は何でもいい。私はスキーインストラクターのコースを選んだ。
哲学者みたいな恩師
「あなたはスキースポーツに何を探しますか?」アメリカで単体のスキー場としては最大規模のヴェイルのスキースクールの門をたたいた時のことだ。面接してくれたのは当時のアメリカ職業スキー教師連盟(PSIA)の副会長であったホースト・エイブラハム氏。ヴェイルスキースクールにおいてはテクニカルディレクターだった。名前を紹介し合った後の最初の質問がこれ。「・・・?」。それまでの人生の想定問答集にはない質問だったので、「I,I,I think ・・・」。考えたこともなかったから 「It’s too hard to explane for me 」 なんて誤魔化すのが精一杯。彼が私に言った面接の最後の言葉は 「Skiing has something special! 」 それが何かを探しなさい。答えは人それぞれだ。何が正解ということではない。それを考えることが大事で、それぞれのsomething specialを人生に生かしなさい、と。とりあえず採用はされたものの、それからは、ほぼ連日「スキースポーツは人間にどんな影響を与えると思うか?」とか 「ストレス解消にスキースポーツはどんな役割を果たすか? 」「スキースポーツの上達の妨げとなる恐怖心のメカニズムは?」といった質問が、ランチを一緒にとっている時でもスタッフミーティングの席でも、どんどんとやってくる。ここでもまた 「あ〜っ、俺はダメだ。そんな深いとこまで考えたことないもの 」と、挫折一歩手前。
でも、そんな訓練をされているうちに、スキースポーツの奥行きというか、ポテンシャルというか、いずれにしても、考えれば考えるほど「深いスポーツ」なんだ、ということで、以前にも増して興味をもって取り組めるようになっていった。世界中の誰もが知っている大物政治家や芸能人と滑る機会を得たことなども、スキースポーツにのめり込むスピードを加速させてくれた要因のひとつになった気もする。
シーズンが終わってカレッジに戻ると、 「ディベート中心の授業が、こんなにおもしろいものだったっけ? 」 人間の気持ちなんて、朝令暮改じゃないが、ここまで変わるものなんだな。中でも思い出深いのは「君にとって理想のスキーリゾートとは?」という題材。設計コンペみたいなものだが、許認可とか収支なんてことはさておいて、どんなスキーリゾートだったらおもしろいと思うか?それぞれがマスタープランを作って、品評会みたいなことをやる。夢物語を出し合うのだから、おもしろくないはずがない。
当時、私が出した案のひとつは、場内の建物、駐車場、輸送施設関係は全部地下。地下には 「ハワイ 」を造ることも物理的には可能だ。最終的に巨大エレベーターで垂直に輸送させて山頂に出る。コースは極力、現況を残し、最低限の伐採に留める。 「これだったら自然保護団体も認めてくれるだろう 」なんて説明した記憶があるが・・・。話は余談になるが、アメリカの自然保護団体は当時約900万人いると言われていた。したがって、選挙の際などは自然保護団体からクレームが出そうな政策を打ち出した候補は絶対に当選できないといわれたほど。そんな背景もあって、いくら夢物語を披露する場であっても、脳裏には現実も一部入っていたように思える。
まずは本場を学ぶことから
カレッジは4学期制だったが、一学期休もうと思えば休める。一学期というのは3ヶ月だから、何かやろうと考えたら、結構思い切ったことができる。自分にとっての目的はスキー業界で生きていくためには、まずは 「世界一のレベルを知る事から始まる 」だから、ヨーロッパだろうが、南半球だろうが、南米だろうが、「行く必要がある」と感じたら、どこへでも行こう、と。
しかし金はなかった。まぁ、片道チケットが買えれば、行った先々で何とかなるだろう。
バカ扱いも、恥も、一人ぼっちの寂しさも多少は訓練されていたから、不安はまるでナシ。そんな軽さで、オリンピック三冠王のトニー・ザイラーをはじめ、金メダリストにできるだけ会って話しを聴く。できることなら一緒に滑ってもらい、どのくらい上手いか、どんな練習をやっていたかを知る。ネームバリューのあるスキー・ブーツメーカーを訪ねる。どうやって世界に通用する用具ができるかを知る。一流スキーリゾートを訪ね、経営の現実と夢を拝聴する。質問の仕方は前述したホースト調を真似た。ちょっとは賢い奴だなと思っていただけるのでは・・・という下心で。
1968年のグルノーブル冬季オリンピック(フランス)。そこでアルペン三冠王に輝いたジャン・クロード・キリーに会った時のこと。
「僕が柔道の世界チャンピオンになろうと思ったら、まずは日本人になろうとするね。フランスでも、もちろん柔道は学べるが、本場ではないんだ。表面的なことを真似ることはできても世界一にはなれない。そのスポーツの生まれた背景や伝統、文化、風習、言葉、食物など、すべてが自分の中に吸収されないと本質を身につけることはできないんじゃないかな」
フランスでは1936年に、当時の人民戦線内閣によって、全労働者に2週間の有給休暇を取る権利を与える「バカンス法」なる法律を制定した。大変な不況と高失業率に喘いでいた中で、この法律を制定した背景は需要の増大による経済再生と雇用の創出である。当たり前のことだが、消費がなければ経済は成り立たない。そして、その消費対策としては「自由時間」を与えなければならない、というのが理由だ。
1956年には3週間に、1981年にはミッテラン大統領が「自由時間省」を設立し、翌年には5週間の長期休暇制度を制定。1987年に「バカンスは定着した」との考えから、シラク大統領は自由時間省を廃止したが、ドイツにおける連続24日の連邦休暇法、アメリカのニューデール政策等も、不況時の経済活性化政策として国家主導で行われた。
平成14年の経済産業省、国土交通省、(財)自由時間デザイン協会による休暇制度のあり方と経済社会への影響に関する調査研究委員会の報告書によると、我国の雇用者の年次有給休暇の平均付与日数は約18日、これに対して実取得日数は約9日。これを雇用者総数約4,700万人に乗じると年間4億日。これが消費に回されると経済波及効果11.8兆円になり、日本のGDPの2.36%、雇用創出効果は148万人になると試算している。現在の失業者数は約350万人と言われているわけだが、そのうち42.3%は補える計算になる。
日本人の、まだまだ 「労働は善 」で 「遊びは悪 」という社会風土も、休暇取得の現状に繋がっている要因のひとつだろうが、67前のフランス国家の思考回路に我国の経済再生の活路を見出せないものだろうか。
アメリカ人のスキー場経営者