日本人とスノースポーツ環境《日本スキー学会誌 2002年度版》

 明るさを失って久しい日本のスノービジネス業界。結果論で物事を語るのは痴愚の念にもかられるが、こうした状況に陥った原因の一端として「日本人気質」という側面から私なりに考察してみたい。

 1950年(S25)より2000年(H12)までの51年間に我国には643ヶ所のスキー場が誕生した。平均すると年間12、6ヶ所ということになるが、中でも1972年(S47)の札幌オリンピック開催年と1988年(S63)のバブル絶頂期に29ヶ所ものスキー場が開設されている。加えて、1988年を中心とした前後5年間は毎年20ヶ所以上が新規オープンしている。リゾート法制定という時代の波風も拍車をかける大きな要因であっただろうが、数々のマスタープラン作りに参画させてもらえる喜びは感じていたものの、「いったい日本はいくつスキー場ができるのだろう? 需要と供給のバランスがいつ狂ってくるのだろう?」そんな疑念を持ちながら仕事をしていたことも確かな時代がある。まずは数の問題である。ゴルフ場しかりスキー場しかり、日本の許認可基準はどうしてこうも甘いのだろうか。成り立たなくなれば、そのほとんどが自然を破壊されたエリアとなるビジネスであるが故に、許認可を与える側が、成立するかどうかの審査をもっと厳しくするべきであったろうという思いが強い。しかし我国の行政サイドに経営に対する判断を求めることは難しい。その辺が、まず欧米諸国と違う。かつて不動産業界が行った総量規制のように、スノービジネスもそれぞれを健全経営させていくための指導・配慮が求められる。自然公園法に基づく規制の網をクリアできるかどうかだけなところに日本の問題点がある

 日本人というのは右向けば右、左を向けば一斉に左を向く傾向がある。周りがこうだから・・・みんな持っているから・・・過去の事例がこうだから・・・前例のないことをして失敗したら誰が責任をとるんだ・・・? 主体性のない「平均主義的価値観」がもたらすもの、それは創造性のない「没個性」以外の何物でもないだろう。よって、どこのスキー場に行っても個性も感じなければ感動もない。かと思えば、採算は度外視、ポテンシャルを勘違いしたとしか思えない、やみくもに資金投下してきたスキー場もあるが・・・。

 組織面においても日本人らしさが随所に見られる。第三セクターであれば筆頭株主の企業(団体)から代表取締役を出し、次の株主からNO2の立場の人間を出すのが定番。町営や村営であれば行政の首長が代表者となり、役員は議員の持ち回りとか、宿泊施設オーナーの持ち回りとか、だいたい相場は決まっている。そこには経営能力とか適材適所というよりも町や村の「体裁」の方が重んじられている。もちろん、こうした形態の組織がすべてそうだとは言わないが、日本のスキー場経営の組織に対する思考レベルが低すぎること、またサービス業に対する認識が甘すぎることも、現状の体たらくを招いた原因のひとつとは言えまいか。町や村の完全なる「福利厚生施設」なら、それでもある程度は許されるかもしれないが、スキー場はすべての愛好者が出入りする「公共施設」

である。サービス業におけるグローバルスタンダード感覚が、他のサービス業と比較すると、あまりに乏しいと感じられるのは寂しい限りだ。

 スノースポーツに精神的浄化作用があることは誰もが認めるところ。多角的にとらえても健全なる精神・肉体を養ってくれる非常に素晴らしいスポーツだと確信している。ただ、それを提供する側の人たちに本質が理解されず、サービス業とは名ばかりの姿が目立つところに、日本の「季節商売」における運営の難しさがある。

 話はちょっと横道にそれるが、日本人の教育レベルは総じて高い。諸外国を歩いてみても、それは感じる。が、問題は「学校秀才型」が多いこと。学校秀才型の特徴は答えのある世界には強さを発揮するが、答えが見えにくい世界には意外にもろい点である。スキー場も含めて、いわゆるエンターテイメント・ビジネスは不確定要素が多く、答えが見えにくい世界。こうしたビジネスは欧米人と比較すると、現実を見る限りでは創造性に欠ける日本人には苦手な分野と言わざるを得ない。そこには僭越ながら、日本の教育制度や社会構造にも多々課題を抱えているのではないかと思われる。今度「スーパーハイスクール」が登場すると聞いているが、創造力を強化していく意味でも喜ばしい話である。リゾートブームに沸いた時代に、ほとんどの計画が「金太郎飴」だったことからも、前述したような日本人であるがゆえの気質が、あえて個性、創造性に欠けたものを多く作り出し、極論すれば、スキー場そのものに魅力がないことから、アクセスの良さだけが選択の対象になるような今日のスノースポーツ環境を導いてしまっているとも言えるのではないだろうか。

 日本人はまた「不便さ」に対する価値観を持つことが苦手な国民に映る。おそらく国内のスキー場でテレビや新聞のない宿泊施設は皆無であろう。欧米の主要なスキー場において新聞、テレビのないホテルに宿泊したことは何度もあるが、その点を訊ねると、「あなた方は何のために、ここへ来ているのですか?新聞、テレビを見ていて頭が空っぽになりますか?」果たして、この価値観が日本人に持てるだろうか?理解できるだろうか?

「そんなことでは日本の厳しい社会に対応していけない」たとえ頭の中では理解したとしても、現実をみるとそうした考えの人が圧倒的に多いのではなかろうか。日本人には日本人の価値観があってしかるべきことを否定するわけではないが、頭を空っぽにする大切さ、それが明日への活力を生むという欧米人の価値観は、国や人種が違っても、人間にとって心身ともに健康であるためには必要なことだと思う。世の中が便利になることは結構なことだが、そうなればなるほど人は我侭になる。それほどのことでなくとも苦労を感じ、発想が短絡的になり、「辛抱」とか「地道」などという言葉も忘れがちになる。単純ですぐ結果が出る遊びが流行り、スキー場に来ること自体が大変だと思うようになる。物事の善悪の区別があいまいになり、親も教師も「躾」ができないでいる。そんな世の中になればなるほど、人間にとって、ましてや日本人にとってスノースポーツの存在価値、意義を感じないではおれない。

「快適な空間で快適な時間を過ごす」人間の幸福はこれに尽きると思うが、そのためには吹雪の中から大切なことを学べることも確かだ。不便さの中から多様な教えを得ることができることも確かだ。大自然と共生するスノースポーツが我々に何を与え、心身ともに健全なる人間の育成にどう寄与していくのか?私はスキー場経営という分野を通じて模索、挑戦し続けていきたい。