My favorite ski resorts《月刊スキージャーナル2000年10月号》

7. Trois Vallees (フランス)

 20数年前、それまで飛行機に乗ったことすらなかった僕が初めて行った海外のスキー場がTROIS VALLEES(トロアバレー)だ。

 「外国って匂いが違うんだなぁ。」笑われるかもしれないが、本当にそう感じた。スキー業界某社の視察に連れて行ってもらったのだが、田舎の中の田舎みたいな町(小国町のみなさんゴメンナサイ)で生まれ育ち、これといったスキーの実績もない自分にとって、ヨーロッパでスキーができるなんて夢のまた夢。うれしかった。ホントにうれしかった。その上、パリにも行ける。エッフェル塔やルーヴル美術館が見れ、日本では売られていない「フィラ」もあるに違いない。ミーハーと言われようと何と言われようと、それが当時の偽らざる気持ちだった。

 そんなわけで、たまたま行ったスキー場がTROIS VALLEESだったが、ここがまたデカイ。名前の通り「3つの谷」という意味だが、その谷をヴァルトランス、メニュイール、メリベル、クールシュベルの4スキー場で連結し、ひとつのスキーエリアと言う形をとっている。

 合計のゴンドラ・リフト本数は226基、標高は1,300メートルから3,300メートル。コース総延長がなんと600キロと、ちょっと想像できないほどの規模を誇る。位置的にはスイスのジュネーブからメニュイールまでが142キロ、クールシュベルまでが163キロ。パリからはそれぞれ647キロ、668キロだ。同じエリアにあり、コースは結ばれているものの、それぞれのベースタウンはこれだけ見ても21キロも違う。数年前に訪れた際、クールシュベルの撮影で軽いケガをしてしまい、そこから一番遠いヴァルトランスの宿泊先までタクシーで戻ったことがあったが、1時間50分もかかり、あらためてスキー場の大きさを実感したのだった。

 簡単に各スキー場の特徴を紹介すると、まず4スキー場の中ではもっとも新しく標高(2,300メートル〜3,300メートル)も高いのがヴァルトランス。レイアウト自体がすり鉢上で、どこから滑ってきても街に戻ってくるように設計されている。初めての人でも迷うことはない。営業期間も一般的にはほかの3スキー場が12月初旬〜5月上旬に対して、10月下旬〜5月中旬と一番長く、加えてピックリー、ジェブラ、ジェビエルといった氷河では年間を通して滑走が可能だ。

 街はホテル、コンドミニアム、ショッピングモールなどが整然と並ぶ中で、僕が癒しと感じたのが「クラブ・ピエールバルテス」。いわゆるスポーツセンターだが、プール、サウナ、ジャグジー、日焼けサロン、インドアテニス、バレーボール、サッカー、スカッシュ、ローラーホッケー、バドミントン、卓球、フリークライミング、トランポリン、シミュレーションゴルフ、フィットネスなどが楽しめる。吹雪いてきたらスキーはさっさと切り上げ、インドアスポーツに興じる。一流スキーリゾートの条件とは、スキー以外にどれだけのお楽しみメニューが用意されているかがキーポイント。ここで遊んでいるとアッという間に半日が過ぎてしまう。

 メニュイールは標高1,815メートル〜2,952メートル。ゲレンデのエプロン部に必要な機能が集中しており、その一角にひときわ目立つ温水プールがある。日本のスキー場開発には非常に参考になるゾーニングで、利用客側からみても実に快適なリゾート空間として人気が高い。

 建物のほとんどが三角屋根に木と石を用いたシャレー(山小屋)造りなのがメリベル。標高は1,400メートル〜2,738メートル。自然との調和を重視したこのスキー場では、屋根の煙突からは暖炉の煙が流れ、味わい深い山里の雰囲気に、スキーヤーものんびり、ゆったり派が多いように感じられる。

 最後にクールシュベルだが、標高は1,300メートル〜2,738メートル。世界中の王族、芸能界、政財界などの人たちの別荘が多いことでも知られており、ホテルやショップを見てもさすがに品格を感じさせる建物が軒を並べている。またフランス語でスキー・オ・ピエ(スキーを履いたままで)がクールシュベルのキャッチフレーズでもあり、ホテルの玄関を一歩出ればそこはゲレンデというコンビニエンスト・センスは見逃せない。

 これだけの規模になるとエアポート、ヘリポートは「必需品」として完備され、TROIS VALLEESの全体の衣(ショップ)・食(レストラン&バー)・住(ホテル、コンドミニアム)に関してはそれぞれ約250軒、150軒、300軒というスケール。

 海外への興味、憧憬がより一層強まり、その後アメリカに留学するキッカケにもなったTROIS VALLEES。神の啓示といえるほどオーバーなものではないが、その強烈な規模、匂いの違いが、その後のスキー人生に多大な影響を与えたことは確かである。