My favorite ski resorts《月刊スキージャーナル2000年2月号》

1.Vail (アメリカ)

  「瞳のなかに海を見る」。かつて僕がスキーインストラクターをしていたコロラド州のVail。そのスキー場のスタッフたちには、そんな印象を持ったものだった。

 スキー場というのは、周知のようにリフト、レストラン、チケット売り場、インフォメーションオフィス、ホテル、スクール、パトロール、レンタル、託児施設、ゲレンデ整備、駐車場など、こうした複合的な施設の集合体である。

 そんな中、Vailのスタッフはみんな若く(精神年齢の若さを含む)、明るく、はつらつと仕事をしている。スキー場のスタッフとお客さんは初対面 であっても、
「How are you doing today ?」
「Good shape !」
「Hangover !」
 こんなやりとりがお互いの笑顔を生み、つねに明るいムードをかもし出している。  Vailはコロラド州の州都デンバーから西へ100マイルのところに位置し、1962年にオープン。現在はコース面 積765ヘクタール、標高2485メートル〜3430メートル、コース数92本(初、中、上級コースの比率はほぼ同じ)、麓にはレストラン、バーが約90軒。その他スポーツ、皮革製品、貴金属店など約60軒。映画館、図書館、病院、スーパーマーケット、ホテル、フィットネスセンター、アイススケートリンク、インドアテニスコート、ゴルフ場など規模、施設とも北米を代表する山岳リゾートタウンに成長している。町は大きく3つのブロックに(ゴールデンピーク、ヴィレッジ、ライオンズヘッド)に分かれているが、自家用車は禁止され、移動にはシャトルバスが利用されている。ちなみにコース面 積が765ヘクタールというのは苗場の4.5倍、八方の3.8倍、志賀高原全体の2.8倍の規模である。また裏側には「バックボウル」と呼ばれるスリバチ型のパウダー専用コースが6カ所も広がっており、ここはスキーヤーでもスノーボーダーであっても新雪大好き人間にとっては、まさに至福のエリア。

 また、このスキー場を語る際に忘れてならないのがスキースクールとスモールワールド(託児施設)だ。僕が過ごしていた時代はスクールのインストラクターは約400名(現在は約1200名)。その陣容は各国から来ていることはもちろんのことだが、驚いたのはその中に元ナショナルチームのアルペン選手やオリンピック出場経験者が合わせて27人もいたことだった。加えて、スキー連盟の副会長やデモチームのヘッドコーチ、ナショナルデモンストレーターも常時3人はおり、当然のことながら彼らと一緒に練習することは自分自身にとってより一層の向上心と緊張感を植え付けてくれたことは言うまでもない。レッスン終了後には毎日インストラクターのためのクリニックが開かれるが、指導法、心理学、救急法、気象学の他、南米からのお客さんが多いためスペイン語の講習まで26項目に及ぶ。

 余談だが、男性インストラクターのためにひとつだけ有効(?) なスパニッシュを紹介しておこう。「トゥ エレス ムイ ボニータ」これは「アナタはなんてかわいいんだ」の意味だが、ボニータをボエナとは言わないこと。ちょっとアダルトな意味を持つ言葉なので変な顔をされるので注意。

 スクールのユニークな点としてもうひとつ。毎週インストラクターだけによるSL、GSLのレースを交互に行なっており、その結果 の集計によっては翌シーズンの契約金額が大幅に違ってくる。レースのタイムだけがインストラクターとしての優劣の判断材料ではないが、有力な武器であることは確かだ。それだけに各人のタイムレースに対する意気込みはすごいものがあり、前日のチューンナップルームは場所取りに必死だったことが今でも思い出深い。

 次は託児施設だが、これがまたすばらしい。現在2歳半から6歳まで、1200名収容の施設を誇る。専用のゲレンデもユニークなゾーニングでつくられ、一日中遊んでいても飽きることはない。幼児を保育するインストラクターは児童心理学の博士号を取得している人も多く、完全なスノー幼稚園の様相を呈している。僕が巡歴してきた世界のスキー場の中で、ここの施設以上のものは見たことがない。

  Vailはこれまで、近代山岳リゾートの雄として多くの専門家たちの注目を集め続けてきたが、その末端に生きるものとして感動するのは、「街づくり」に対する姿勢である。もともとアメリカ陸軍の演習場で、民家1軒しかなかったところにスキー場を中心とした「街」をつくろうとしたヴェイル氏、以下3人。それが25年後には定住人口が3000人を超えるまでに至った。綿密かつ大胆な計画のもとでのインフラ整備、地域特性を生かした産業創造による雇用の創出。ホテルの客室稼働率が年間を通 じて80パーセントを超えることからも、いかに魅力のある地であるかが理解できる。西へ10マイル離れたところに、さらに研究してつくったといわれるBeaver Creekを1981年に同じ事業主体がオープンさせたが、どちらも「住んでみたい街」づくりに信念を燃やし続けてきた人たちの情熱にエールを贈るとともに、もしこの地を訪れる機会があったら、そんな視点からもぜひとも見てほしいものである。